オルガンのエッセイ

THE ORGAN-ISM

 
 ここは、あるテレビ局のスタジオである。これから、オルガンバンドORGAN-ISMのライブの収録を行うところである。このバンドは、ちょっと変わっている。そもそもが、現在の第二次ハモンド・オルガンブームに乗じて出てきたバンドなので はあるが、全員が別の職業を持っていて、しかも全員オジサンである。1970年代にはそれぞれ別のアマチュアバンドでキーボードを弾いていたそうであるが、20年ぶりに練習を再開したとかで、全員B-3という楽器を持っていたことから、グループを結成したそうである。一人一人の演奏自体は、お世辞にもうまいとは言えないのであるが、三人寄れば何とかで、そこそこ聴かせてくれるのである。三人が三台のオルガンを弾いて、通常一人で弾くパートを三人で分担して弾くというものだから、当然一人ではできないこともできてしまうし、そこそこカッコいい紳士が汗だくでオルガンを弾くというビジュアル的な要素もあって受けているのだろう。
 評論家によれば、型破りの素人芸ということになっていて、音楽的な内容よりも、そのいれこみかたが凄いという点で評価されている。過激なまでのグリッサンドや、レスリーを縦2台×横6台ならべて壁を作り、トレブルロータとバスロータをシンクロさせて回すことによる ビジュアルな要素が、彼らの原動力となっている。ちなみにシンクロさせても音的には、なんら影響はないそうで、レスリー本体よりもシンクロのための仕掛けのほうが高価だそうであるが、見た目の迫力はけっこうあるのである。何でも近いうちにラスベガス公演に行くそうで、派手なことが好きなアメリカ人には大うけ間違いないと言われている。
 オルガニストの間では、ハモンドオルガンのキメの音を普段から使っているとか、そもそも邪道とか言われていて、そのことは本人たちも十分知っているのであるから、れっきとした確信犯である。まあ、 一流企業で役員間近という別の職業をそれぞれ持っていて、それで食べていけるわけだから、遊びでやっているといっても間違いではないし、今を楽しんでいるという気楽さが逆に聴く側に受けている というのが本当のところであろうし、2000年代初頭からの日本の経済不況が一段落し、再び右肩上がりの経済状況となったから、こんなグループが受けているというのが実情のようである。

 ここは、あるテレビ局の楽屋である。オルガンバンドORGAN-ISMがライブの収録を待っているところである。
「臼田さん、遅いねぇ」と巴田が言った。
「ばれたんじゃないだろうな」と山室が言った。
「俺たちは、順風漫歩の職業についていることになっているからな」とさらに巴田が付け加えた。
「今の所はウソではないけどね。」と山室がさらに返した。
 彼らは、とあるジャズクラブにオルガンライブを見に行って知り合ったのである。年齢もほぼ同じで会社員という境遇もほぼ同じであった。彼らは、ハモンド・オルガンによるオルガンジャズをこよなく愛し、その東京港区青山にあるジャズクラブに三日とあけずに参集していたから、話をするまでにはたいした時間はかからなかったし、もともと大好きなものが一緒だったので打ち解けるまでに 長い時間はかからなかった。
 彼らは、どこからかアメリカのシカゴにあったハモンドオルガンの製造プラントが今でも残っているという話を聞き出した。そのプラントは、Hammond Organ Companyを清算するときに競売にかけられたものを競り落としたものであり、ネバダ州の砂漠に近い荒野に保存されていると言うことであった。彼らは、それを買い取ってある楽器会社に売ることを考えたのである。プラントの売主は、楽器会社と直接取引をすることを嫌っていて、楽器のマニアにできれば売りたいと言っていた。これは商売の材料に使われるために売るのではなく、情熱のために売りたいという理由であった。
 そこで彼らは各自の会社から不正な手段で資金を調達した。楽器会社に転売し、返せばいいと考えたからである。しかし、代金を支払ったにもかかわらずプラントは手に入らなかった。国際間の取引なので訴える先も、ままならず、おおっぴらになってしまうとその資金の入手先まで明らかになって は困るという彼らの後ろめたさも手伝って、ほぼ泣き寝入り状態である。そこで考えたのが、このオジサンバンドであるが、ここまでうまく行くとは当人たちも予想しておらず、会社から無断で借りたお金も半分は返すめどがついた。これから年度末までの半年間でどこまで稼げるかに、年度末の会計監査で悪事が暴露されるかどうかが、かかっているのである。ラスベガス行きも、当時の売主がラスベガスにいるという情報を手に入れたから行くのであって、そうでなければ行く気はなかったのだ。
 当人たちにとってみれば、ある意味崖っぷちなのであるが、オイルショック時代を果敢に生き抜き、バブル後のリストラにも耐えて 賢く生きるということが身に付いた彼らには、このくらいのことで自分の一生が台無しになるという考えがそもそもなく、それよりも自分たちの音楽を人に聴いてもらってお金がもらえるという 一度は挫折した夢を実現していることの方に関心があり、結構楽しく今という時間を過ごしているようである。
 遅れてきた臼田がポツリと言った。
「俺たちのために会社も知名度を上げたわけだし、横領がばれたからといって、会社も警察に駆け込むようなことはしないんじゃないかな? 俺の会社では、製品のおまけにORGAN-ISM人形を付けたいと言っていたよ。」
巴田が、付け加えた。「オルガンの弾きかたは毎日ジャズクラブに通っているうちに自然に覚えたんだもんなぁ。それが、なけりゃ今どうなっていたことか。いまから考えれば、オルガンジャズを 堪能して酒まで飲んだんだから、安い授業料だったよな。 借金を全部返したら、次に何をするかな?」 彼らは、インプロビゼーションを人生でも楽しんでいるようであった。
 
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